秋だね。
オオウエエイジの最後の年、それももう半分以上過ぎてしまって。いよいよ本格的にカウントダウンを意識する、そういう季節になってきたんだよね。
そういう時期に、僕の方は公私ともにいろいろなことが重なって。チケットと多のだけれども行けなかったコンサートとかも、結構あるんだよね。申し訳ないことに。
たとえば、このチャイコ選集の前回、5番。何で行けなかったかは忘れちゃったけれど、泣く泣くあきらめたんだよね。
だから、前々回、僕にとっては前回の4番。ロマンティックな大騒ぎのイメージから引きずった、今回の6番。結構楽しみにしていたんだ。
そういえば、オオウエエイジって、結構久しぶり、なのかな。
ということで、6番。悲愴。
ゲージツ的にチャイコフスキーがどうかっていう議論は置いておいて。感情の起伏の激しいチャイコフスキーの曲、僕は大好きなんだよね。ロマンティックな大騒ぎ、いいじゃない。
昔、朝比奈さんのインタビュー記事で、どっかで誰かがチャイコの5番を振って大不評の評論があった、っていう話をしたときに、「はて、チャイコの5番は、普通にやればみんなが喜ぶ曲なんですがね。その方がそんなひどい演奏をするとは思えませんが」みたいなことをいっていて。まあ確かに、チャイコでツマラナイ演奏って、そうそう記憶にないよな、って納得したことがあったのだけれども。
この、オオウエエイジの、悲愴。
僕は、好きになれないな。
もっとはっきり言うと、嫌い。
なんなんだろう。
確かに曲は悲愴なのに、何でこんなにざらざらするんだろう。
始まったとたん、そういう強烈な違和感が押し寄せてきてね。あまりにツマラナイから、どういう理屈でこういう風に聴こえるんだろう、っていう謎解きを一生懸命にしていたよ。
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