なんていえばいいんだろうね。
あの日、僕は確かにココロを鷲掴みにされて振り回されて、それから放り投げられた。
それはそれは大変なショックで。
でも何故か。何でかわからないのだけれども、それは言葉となって降っては来なかったんだよね。いつもなら、帰り道で言葉が塊となって降りかって、僕はそれを交通整理するだけなんだけど。
今となればわかるんだけどね。何で言葉にならなかったのか。
今となれば、わかった上で言葉にできるんだけどね。それだけのテクニックを、僕は身に付けてきたから。
でも、そうはしたくないんだ。あの日のあと、いくつかの大嵐や小嵐が吹き荒れて、その嵐に角を削り取られてしまったあの日の感情を、さも今見てきたように書くことは、したくないんだ。
それは、とても失礼なことだと思うから。
このお芝居を創り上げた人たちに。それから僕の感情に。
だから。
時とともに薄れていく印象と闘いながら、角が取れた感情を元に戻して。
その過程で見え隠れするふさがっていない古傷。その裂け目を直視する勇気をかき集めて。
あの日の雨と、マックのハンバーガーと、緞帳からもれる硝煙の匂いを呼び起こして。
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